笹塚いまむかし
2012年 03月 04日
京王線の幡ヶ谷駅〜笹塚駅間、新宿から地下を走っていた電車が地上に顔を出したあたりに、小さな踏切がひとつあるのを知ってましたか?
なんて書くと、「あっブラタモリを見て、さっそく旧初台駅あたりを探索したのだなコイツ」と思われるのがしゃくなのですが、この写真は結構前に撮ったもので、ブログに書こう書こうとぐずぐずしているうちに、テレビに先を越されてしまったわけなのであります。
まあ私の場合は、京王線の謎を探ろうとしていたわけではなく、ただただ「電車が地下あるいはトンネルに入るところ、あるいはその周りはどうなってるのか」という、マニアなのかフェチなのか、なんだか自分でもよくわからない動機のもとの行動なのですがね。
とりあえず近場ということで京王線、井の頭線の「出口、あるいは入り口」を調査。京王線は幡ヶ谷から笹塚の間、甲州街道に沿って走っているので簡単に見つけられました(そしてこの踏切も発見)が、井の頭線は東電OL事件で有名になった神泉あたり、これがなかなか見つけられなくて、あっちこっち迷子になりながら歩き、やっとの思いで、ゴーッという音とともにトンネルの中に吸い込まれていく電車が見えるエリアを発見したのでした。
もう満足感いっぱいで、しばらくその場でニヤニヤしながら佇んでしまった私。電車内からその様子を発見したら、たぶんトンネルの入り口でお化けがニヤニヤ笑いながら立っていたと思ったに違いありません。夜だったし(笑)。
ああ、バカだなあ地図を見ながら探せばすぐじゃん、と思われるかもしれませんが、そんなことしたら迷子ウォーカーの名が廃ります。ここかな、いや違う、あれ、どこ歩いてるんだろうオレ。もしかしたら迷子になっちゃった? など、とちょっとだけ焦りながら歩きまくるのが、迷子ウォーキングの醍醐味なのですね〜。
で、笹塚駅をふらふら不審者のようにうろついていたら、こんな「京王線の歩み」なる写真ギャラリーがあるのを発見。なかなか興味深かったのでご紹介しようかと思います。
この写真は大正時代、玉川上水に架けられていた「南ドンドン橋」と子どもたち、です。
笹塚辺りの玉川上水は、いまでも川があったり緑地があったりとその名残を残していますが、南ドンドン橋があったところは現在暗渠になっており、その碑があるだけなのです(笹塚駅の南側すぐ)。
それにしても当時の子どもたちの、絵に描いたような「昔感」(笑)。モノクロだから特にそう思うのかもしれませんが、今のどんな天才子役でも、この泥臭さとか、素朴さとか、エネルギー感とかは出せないだろうなと思ってしまいます。
これは大正時代の甲州街道。新宿から3〜4kmほどしか離れていないというのに、すでに田舎道といった印象です。
で、これは昭和30年ごろの笹塚あたりの景色。なんだか、途中戦争があったにしても、大正から昭和30年まで、大して風景は変わっていないなあという印象です。ちょっと極端なところの写真、なのかもしれませんが。
このあと、東京オリンピックから高度経済成長、バブル景気と、古いものはどんどん取り壊され、新しい、その変わり個性のないものがどんどんと街を変えていって、現在に至っているのですね。
人間も同じかもしれません。
だから、古い者は頑張って、意地を張って、出る杭はガッツンガッツン打っていかなくてはなりません(そういう着地点?)
なんて書くと、「あっブラタモリを見て、さっそく旧初台駅あたりを探索したのだなコイツ」と思われるのがしゃくなのですが、この写真は結構前に撮ったもので、ブログに書こう書こうとぐずぐずしているうちに、テレビに先を越されてしまったわけなのであります。
まあ私の場合は、京王線の謎を探ろうとしていたわけではなく、ただただ「電車が地下あるいはトンネルに入るところ、あるいはその周りはどうなってるのか」という、マニアなのかフェチなのか、なんだか自分でもよくわからない動機のもとの行動なのですがね。
とりあえず近場ということで京王線、井の頭線の「出口、あるいは入り口」を調査。京王線は幡ヶ谷から笹塚の間、甲州街道に沿って走っているので簡単に見つけられました(そしてこの踏切も発見)が、井の頭線は東電OL事件で有名になった神泉あたり、これがなかなか見つけられなくて、あっちこっち迷子になりながら歩き、やっとの思いで、ゴーッという音とともにトンネルの中に吸い込まれていく電車が見えるエリアを発見したのでした。
もう満足感いっぱいで、しばらくその場でニヤニヤしながら佇んでしまった私。電車内からその様子を発見したら、たぶんトンネルの入り口でお化けがニヤニヤ笑いながら立っていたと思ったに違いありません。夜だったし(笑)。
ああ、バカだなあ地図を見ながら探せばすぐじゃん、と思われるかもしれませんが、そんなことしたら迷子ウォーカーの名が廃ります。ここかな、いや違う、あれ、どこ歩いてるんだろうオレ。もしかしたら迷子になっちゃった? など、とちょっとだけ焦りながら歩きまくるのが、迷子ウォーキングの醍醐味なのですね〜。
で、笹塚駅をふらふら不審者のようにうろついていたら、こんな「京王線の歩み」なる写真ギャラリーがあるのを発見。なかなか興味深かったのでご紹介しようかと思います。
この写真は大正時代、玉川上水に架けられていた「南ドンドン橋」と子どもたち、です。
笹塚辺りの玉川上水は、いまでも川があったり緑地があったりとその名残を残していますが、南ドンドン橋があったところは現在暗渠になっており、その碑があるだけなのです(笹塚駅の南側すぐ)。
それにしても当時の子どもたちの、絵に描いたような「昔感」(笑)。モノクロだから特にそう思うのかもしれませんが、今のどんな天才子役でも、この泥臭さとか、素朴さとか、エネルギー感とかは出せないだろうなと思ってしまいます。
これは大正時代の甲州街道。新宿から3〜4kmほどしか離れていないというのに、すでに田舎道といった印象です。
で、これは昭和30年ごろの笹塚あたりの景色。なんだか、途中戦争があったにしても、大正から昭和30年まで、大して風景は変わっていないなあという印象です。ちょっと極端なところの写真、なのかもしれませんが。
このあと、東京オリンピックから高度経済成長、バブル景気と、古いものはどんどん取り壊され、新しい、その変わり個性のないものがどんどんと街を変えていって、現在に至っているのですね。
人間も同じかもしれません。
だから、古い者は頑張って、意地を張って、出る杭はガッツンガッツン打っていかなくてはなりません(そういう着地点?)
by yochy--1962
| 2012-03-04 23:33
| Tokyo迷子ウォーキング